「あのぉ… 隣いいですか?」
低く太い声が聞こえた。わたしに声をかけているみたいだ。遠くの空を見上げていたわたしはハッとして、視線を声の方へと下げた。
「あのぉ… すみません。ちょっとだけいいですかね、隣。」
声の主の方に視線をやる前に、彼はまた声をかけた。それにしてもずいぶんと落ち着いた声だ。なんとも心地いい。わたしの好きな声。
「あ、はい、どうぞ。」
彼はびしょ濡れになってわたしの方を見つめていた。表情はとても穏やか、いや何を思っているか分からない様な顔をしている。スーツをかっちりと着こなして、左手に仕事用のカバンを持ち、背筋はピンと伸びていた。びしょ濡れなのに。。。
「ありがとうございます。では失礼しますね。」
彼は雨宿りしているわたしの隣に入ってきた。屋根のないバス停の近くにある、なんのお店なのか分からないけど、 どうやら営業している小さなお店の軒先の屋根の下。
「よいしょっと。。。」
屋根の下に入った彼は、安心したという顔をして、ため息をついた。くたびれた様にびしょびしょのスーツを脱ぐ。
「わっ」
予想以上に水を吸ったスーツの重さに、少しびっくりしていた様だ。
ーーーかわいい。
小さな出来事に反応をする彼が漏らす声は、その成熟して落ち着いた声色のわりには、小さくも感情豊かだった。わたしはそんな彼のギャップに心が弾んでしまう。
雨が少し強くなってきた。雨が地面で跳ね返り、軒下で雨宿りしているわたしの足もしとりしとりと濡れていく。なんでこんな日に限ってスカートしちゃったんだろう。肌に触れた冷たい雨は、とても心地よく、ずっとこうしてここにいたいと思ってしまった。
チラッと彼の方に目をやってみる。彼はわたしに背を向けて、腰を曲げてスーツを絞っていた。スーツからは大量の水が出た。
「多いな。。。」
くすくすと笑いながら彼は独り言を漏らす。わたしはやっぱりそんな彼をかわいいと思ってしまい、彼から目を離せない。
わたしの視線に気づいたのか、彼は顔だけ少し振り返った。思わず目が合った。彼の体が少しクッとすくんだ。そして彼は目線を落とし、少し頬を赤らめた。
「えへへ、傘を失っちゃって」
恥ずかしそうにいう彼。上目遣いでこちらをチラチラと見つめる。
ーーーこの男。。。その言葉遣いはわざとか!?なんという破壊力!
わたしの心は彼の一挙手一投足に振り回されずにはいられない。
かれの手に持ったスーツからはまだ水が流れ落ちている。雨はまた強くなってきた。わたしの足はもう濡れているのかさえ分からなくなっていた。
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