「俺は不幸じゃないといい曲を書けないんだ」
彼氏くんの言うことはよくわからない。不幸なんてない方がいいに決まっているし、不幸じゃなくても曲は作れるでしょ?
私と付き合って3年の彼氏くんは、日に日に不幸の底を掘り進めているみたいだった。私はそんな彼に今日が尽きなかった。一体どこまで不幸になれば、彼の言う「いい曲」が作れるんだろう?
ある日彼氏くんが路上で歌っていた様子がネット上でバズった。
「こんなに訴えかける歌は初めて聴いた!」
「身も心も全部魂込めて歌っている感じがして目を離せなかった。。。」
「あんなに悲しそうな顔で、辛そうな格好で苦しいそうな歌声で、幸せを求める歌を歌っている。まさに俺たちの代弁者だ!」
彼の作った曲は売れた。信じられないほど売れて、彼は使い切れない程のお金を手にした。
それでも彼はずっと不幸そうだった。悲しい顔ばかり世間に見せつけて、光を求めて苦しむ哀れな人間の歌を歌う。
私はそれでよかった。彼氏くんの不幸は人の心に刺さるんだ。彼の不幸は「いい曲」をつくったんだ。私にだけ見せるとても幸せそうな顔は、売れる前のものと全く変わらず私の大好きなそれだった。
しばらくすると彼の歌は大衆の記憶から消えていき、一部の人達だけがいつまでも心の支えにしているようだった。
彼の顔は清々しくなっていった。まるで不幸の酔いから覚めて、現実に戻ってきたみたいだった。
彼氏くんは私に悲しい顔を見せるようになった。怒りの表情を投げつけるようにもなった。不幸を捨てた彼は、とっても不安定な人だった。まるで不幸以外の世界の生き方を知らないみたいだった。
ある日、彼は私を捨てて消えてしまった。
彼は自分が不幸だったとき、私に救いの光を見ていた。でも彼が不幸を捨てたとき、理想と違う現実に苦しんだみたいだった。やがて私と一緒にいることが不幸に思えて、彼は怒ってどこかに消えてしまった。
彼氏くん、いやいや元彼くん。君は本当に馬鹿だなぁ。救いを外に求めたって、自分を貶めたって、なんにも救われはしないよ。救いは全て君の中にしかないんだから。
私はそんな元彼くんのことをすっかり忘れる前に、路上で一曲、彼との日々の歌を歌った。
その様子をネットに上げたら、少しだけバズってすぐに消えていった。
あーあ、下らない。
さよなら、不幸な元彼くん。
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